取り残された思いを抱えて|乳がんと共に過ごしたご夫婦の物語

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看護チーム
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乳がんとの長い闘いの始まり

これは陽子さん(仮名、60代女性)とそのご主人(進さん、仮名)の物語です。

 

お二人とは2021年11月より約5か月間、ほぼ毎週訪問診療を継続し、翌年4月、陽子さんの死亡にて終了しました。
ご夫婦ともに敬虔なクリスチャンでした。

 

陽子さんは、パーキンソン病にて闘病中のところ、20年ほど前に乳がんと診断されました。
病院からの診療情報提供書には、手術の後に5クールの化学療法、引き続き5年間の内分泌治療などの記載があり、そこからは長時間の手術、術後の苦痛を伴う症状、薬物や治療の副作用など、壮絶な闘病生活が推測され言葉もありませんでした。
陽子さんが穏やかな笑顔で病歴について話して下さったのは、すべてを受容されている証であり、深い信仰心とご夫婦の絆によるものなのでしょう。
傍らに寄り添い支えて来られた進さんにとってもつらく苦しい日々だったことは想像に難くありません。

 

病院での治療から在宅療養へ ~訪問診療で行う様々な緩和ケア~

手術から18年の後、乳がんの治療は一旦終息となりました。
2021年秋、歩行困難を自覚し受診されたところ、癌の再発と診断されたとのこと。
すでにあちこちのリンパ節と骨に転移を認め、脊椎や骨盤・四肢の病的骨折を発症し、歩行が難しい状態となりました。放射線の緩和照射を受け、鎮痛剤で症状を和らげる治療のみ選び、医師のすすめる化学療法はお断りされ、在宅医療である当クリニックの訪問診療を希望されました。

 

その年の冬は大雪で、吹雪の日が続き、在宅での療養は大変だったと思います。
それでも、陽子さんは明るく私たちを迎えてくれ、自分から苦痛を訴えることはありませんでした。
「家の中では大きな声で賛美歌を歌えてうれしい」と笑顔で話され、ご家族やお友達とクリスマスを過ごし、飼い猫くんと和やかに年の暮れを乗り越えました。

 

1月になると、鎖骨や足に痛みが出て鎮痛剤の使用が増えました。
次第に筋力が低下し、自力での体位交換も困難になり、2月の末には医療用オピオイド(麻薬)の投与が開始になりました。
クリニック看護師のフットケアを気に入って下さり、リラクゼーションを兼ねた爪のケアやアロマオイルを使ってのマッサージなどを毎月実施しながらご夫婦といろんな話をしました。
「このまま穏やかに神のもとに召されたい、延命処置にあたることはしないでほしい」とこの時期にご夫婦より申し出がありました。

 

 

付き添うご主人の心のよりどころも必要 ~グリーフレター~

3月になり、進さんは「陽子さんの亡き後、自分はどうしたらよいのか」と不安を訴えるようになり、「グリーフケアについて知りたい、遺族の集いなどがあれば参加したい」、と口にするようになりました。
陽子さんは、「親戚や近所に奥さんに先立たれた先輩がいるので、お話を聞いてくれば!」と進さんに言われたそうです。
きっと、夫を残して旅立つことの悲しみや申し訳なさ、できればとずっと一緒にいたいなど、いろんな思いが交錯し、励ますつもりで口にした言葉なのでしょう。
そこに込められた深い思いが伝わってきて胸がいっぱいになりました。

 

私たちは、グリーフケアについて学ぶ機会や場所などないか探してみましたが、真冬であり、その時期に実施しているイベントなどを見つけることができませんでした。
進さんにとっても、何もかも初めてのできごとであり、覚悟はしていても思った以上に容赦のないつらい日々だったのだろう、と思います。

 

この時期以降、病態は悪化し、食べ物や水分の摂取が困難になり、酸素を使い始めます。
高カロリーの点滴薬は延命につながると拒否され、水分メインの点滴と鎮痛・沈静目的の薬剤が投与されました。
パーキンソン病のお薬も飲めないため、会話や身体の動きがままならない状況の中で、頷いたり瞬きをしたり、何らかの反応で私たちに答えてくれました。
そしてキリスト教の「イースター(復活祭)」の日に、天に召されました。
彼女のご遺体はご自分の意思にそって検体されたと言うことです。

 

 

 

それから1ヶ月後、クリニックに1通の手紙が届きました。進さんからです。
陽子さんが家事をしていた家の中での生活は、思い出すことばかり多いこと、
彼女の死とともにクリニック・訪問看護・医療機器の業者・ケアマネや訪問入浴など、これまで頻繁に出入りしていた外部の機関との関わりがなくなり、孤立してしまった現状に戸惑っていること、
自宅で介護している身にとって、それらの人の往来がどれほど精神的身体的に支えられていたのかを感じ、私たちにいろんな相談をしたり話を聞けたりしたことがとてもありがたかったことや、
一切外部との縁が切れた状態になることは孤独感に拍車をかけるように思うこと、
終末期にある者とその家族にとっては患者の死が終わりではなく、残された者が歩いていく長い時間の始まりであり、様々な思いへの配慮が大切と感じると書かれており、それは私にとって強く印象に残りました。

 

その後、進さんに「グリーフレター」をお送りして、陽子さんの人生最期の大切な時間をご家族とともに穏やかに過ごすお手伝いができたのであれば私たちもうれしく思うこと、ご夫婦の深い信頼と愛情、信仰に支えられた強い思いに触れた期間は、私たちにも大切な時間であったことなどお伝えしました。

 
それが昨年(2022年)の5月頃のできごとでした。

 

奥さんのさまざまな面影 ~在宅で看取った後のご家族の思い~

そして約10か月後、進さんを訪ねてみました。

 

このブログにご夫婦のことを書く許可をいただきたいこと、そして、進さんにとってこの期間はどんな日々だったのか、お話を伺いたいと思ったのです。
電話で事情をお伝えしましたところ、快諾してくださいました。

 

ご自宅に伺いましたら、笑顔の進さんと一段と大きくなった猫くんが迎えてくれました。
お手紙に書かれていた「今後自分がどのような生き方ができるのか、しなければならないか考えたい」ということについて、何か見つけることができたのかお聞きしてみました。
進さんは、「毎日陽子を思わない日はない、家の中は彼女と過ごした『過去』であり、振り返るしかない日々だった」と言われ、「取り残された」との思いの中で試行錯誤の日々だったそうです。
毎日多くの本を読んで、たくさんの体験集に目を通し、多くの方の考えに触れたとのこと。

 

特に何度も読んだのは、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫先生の「人生の実力」と日本医学出版の「ご家族のためのがん患者さんとご家族をつなぐ在宅療養ガイド」の2冊と話してくださいました。
そして、「自分の今ある時間」を「自分なりのステップ」で「できることをやっていく」と思っておられるそうです。

 

この間、「下を向いていたわけではありません」と続け、その夏、ブルーベリー農園で3ヶ月ほどアルバイトされたとのこと。作物を育て摘み取って出荷するという作業をしながら、農園で働いている方と何気ない会話をすることで癒されたそうです。
また、礼拝に行く教会では神父さんの代わりに、訪れていた方たちへのメッセージを担当する役割も担っているとのこと。
これも生前の陽子さんにすすめられたことだそうです。

 

私には芯の強い凛とした女性に思えた陽子さんですが、どんな人だったのですか?と聞きましたら、おとなしいが弱音を吐かない強い人だった、と言われました。
時には進さんを導くように励まし、支えてくれていたそうです。

 

彼女は「自分が亡き後に連絡してほしい人」のリストを残していて、その方たちに連絡した際に、陽子さんの思い出のエピソードを何でもよいから教えてほしいと伝えたところ、「私の知らない陽子観」があちこちにあったと言われました。

そして陽子さんの思い出集を現在作成されており、完成したら自分の中で一つの区切りをつけたいと言われました。
今年は田んぼで米つくりのバイトを申し込まれたとのことです。

 

このようなお話を伺いながら、思い切って進さん宅に訪問し、お話を伺って良かった、と思いました。
進さんと陽子さんの物語は進さんにいろいろな思いを残したまま、これからも続くのだと思います。

 

 

そして、一番強く思ったことは、もしかすると在宅で大切な人をお看取りされた場合、人によっては、喪失感や孤独感は病院でのお看取りよりずっと大きく、一人でその現実と向き合わなければならないのではないか、ということです。
私たちにとって、何かできることがないか、すべきことは何か、という思いが残っています。
それは、在宅医療機関の役割ではないのかと思うのです。

 

 

 

 

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